カタヤマ・リサさんのNewYorkTimesの2次元オタク記事に反論する

痛いニュース(ノ∀`)」で紹介?されている記事(2009/07/21)の元ネタがこれです。
http://www.nytimes.com/2009/07/26/magazine/26FOB-2DLove-t.html?_r=1&scp=1&sq=otaku&st=cse


私も兄さんと特に親しくしてるわけではないのですが、ご本人と会ったことはあるのでこの記事に対する反論を書かせていただきます。

    • ■■■ここから原文のだいたいの訳(結構長いんで前半部のみ)■■■

兄さんとねむたんの最初の出会いは、兄さんのゲーム友達に連れられていったコミケだった。兄さんがぶらぶらコミケ会場を歩いているとき突然、ねむたんの輝く青い瞳をじっと見つめる自分を発見した。
数ヶ月後兄さんは運転免許をとりおんぼろなトヨタ車でねむたんをドライブに誘った。実家に近い海へ行ったりした。お互いによく知り合うようになると、数百マイルも西の京都、大阪、奈良へと節約のため車に泊まりながら行った。
桜の木の下で写真をとり、メリーゴーランドで子供のようにはしゃいだ。
3年後、彼らは切っても切り離せない仲になっていた。
「僕は彼女のおかげでたくさんの素晴らしい経験をしました」兄さんはねむたんの足をさすりながら言う。
「彼女は僕の人生を変えたんです」
(ここから少し抱き枕とダ・カーポの説明。おそらく兄さんに説明された内容)
私が彼らのいきつけの八王子のサラダバーランチを一緒にとっているとき、兄さんは彼女をどれだけ愛しているかを示すために”たん”をつけて抱き枕ガールフレンドを呼ぶんだと主張した。
ねむたんは10才、いや12才ぐらいでミニのビキニをつけて金色のリボンをしていた。
兄さんは彼女が「リアル」じゃないのを知っていたが彼女を愛することをやめることは出来なかった。
「当然、ねむたんは僕の彼女です」
兄さんは質問に驚いたように目を見開いて答えた。
「僕は彼女が現実のように感じているんです」
37才の兄さんはすっかり禿げており、残っているのは白髪だった。
「僕は糖尿病で食べれないんですよ」
レタスとおくらにフォークを刺しながら兄さんは言った。
「僕は不幸な男です」。ねむたんは彼女のパンプキンスープを控えめに見つめていた。
祝日で、レストランは若い家族連れで混んでいた。
何人かのお母さんはねむたんに詮索好きな視線を投げかけていたが、大部分の人は彼女を無視していた。
兄さんは以前は現実の彼女がいたが、彼女から捨てられたと言った。
兄さんはねむたんをどこへ行くにも持って行った。
ねむたんを彼女のように扱い、週末にカラオケに行ったり、プリクラを撮ったりした。
数時間を一緒にすごした後、兄さんが車の後部座席にねむたんをやさしく座らせるのを見た。
兄さんは職場にねむたんを持って行かないが、職場の机の引き出しに仕事が遅くなった時用に予備の抱き枕を準備している。
「職場の椅子で一緒に寝るとよく眠れるんです」
兄さんは全部で7つのねむたん抱き枕を持っている。
兄さんに取材したとき、写真写りがよいように、ねむたんに新しいカバーをかけていた。
「僕が死んだとき、腕に抱かせて埋葬して欲しいです」
(この後は一般論やら、本田透さんやら森本卓郎さんやらの話が続く)

    • ■■ここまで■■


このカタヤマ・リサさんは東京で実際に兄さんにインタビューしたみたいですが、2Dキャラに対する偏見めいたものを感じます...

私も兄さんに会ったことがなく、こんな記事を読まされたなら「かなり逝っちゃってる人だな」と思ったと思います。

しかし、あえて反論したい。
兄さんは確かにある意味逝っちゃってますが、
抱き枕を除けばものすごく普通の常識人です。

この記事の中で兄さんが発言している内容だって、
抱き枕であることを除けば、全然普通の内容なんですよ。


37才、禿げ、糖尿病とか結構 2D-Loveのテーマに関係ないマイナスイメージワードを使いながら、一方の主人公であるねむたんに対しては10-12才の少女とか間違った内容を書いているので、多分カタヤマ・リサさんは元ネタのダ・カーポと朝倉ねむのキャラを知らないで書いてます。

いつもこういう記事を読むと思うのですが、例えばゲームのストーリーや朝倉ねむのキャラがどういうものか、そういったものの説明がほとんどなく、オタクの外見とかマイナスイメージワードを使って記事を書くのはいかがなものかと思います。


私はダ・カーポはゲームは知っていますがプレイしたことなくアニメしか見てなくて兄さんほど朝倉ねむに対して思い入れはありませんが、この記事は書いている内容はただオタクを好奇の眼にさらしたいだけで、サブカルチャーの内容を掘り下げて見る気がないように思えます。